近代学校建築を今に伝える貴重な遺構 〜 武曽学校 〜
明治五年(1872)に学制の発布により、我が国の近代学校制度が始まりましたがそのわずか4年後の明治九年(1876)に武曽地区に学校が開校しました。
その建物は145年後の今も、集落の集会所として使われています。
玄関の屋根のカーブが非常に優雅で、2階の屋根の鬼瓦には集落名の「武曽」という文字が、1階の屋根の鬼瓦には「学校」という文字が浮き上がっています。
この建物は今でも「武曽学校」と呼ばれており、近代学校建築を今に伝える貴重な遺構として髙島市の文化財に指定されています。
玄関の向って左側には、明治十七年に鋳造された半鐘がぶら下がっています。建物が学校として使われていた時代、授業の始まりや終了を知らせるために使われていたのでしょう。
そして、建物の左側には神社があって、建物の正面には、「村内安全」と文字が彫られた大きな常夜灯があり、明治時代にタイムスリップした様な素敵な空間が形成されています。
(2022.2)