歌謡曲で全国に伝わった若者たちの遭難 〜 四高桜 〜
全国学生漕艇大会制覇を目指していた旧制第四高等学校(現金沢大学)漕艇班クルー十一名が、昭和十六年に琵琶湖縦断を試み今津町で二泊した後、大津市に帰る途中の四月六日に比良八講で荒れる萩の浜沖で遭難しました。
その遭難死を悼んで翌十七年には勝野の妙林寺で一周忌の追悼法会が営まれ、四高関係者と地元大溝の人たちが協力して琵琶湖岸に千本の桜の苗を植え、萩の浜に入る手前に「四高桜」と彫られた高さ三メートルほどの慰霊碑が建てられました。
また、四高漕艇班遭難追悼歌「琵琶湖哀歌」が作られ東海林太郎・小笠原美都子の歌で広く全国にこの悲しい事件が知られるようになりました。
遠く霞むは彦根城 波にくれゆく竹生島
三井の晩鐘音たえて なにすすり泣く浜千鳥
琵琶湖岸に植えられた千本の桜は、その多くが姿を消しましたが、この悲しい事件を記憶から消さないようにと平成十四年には「四高桜を守り育てる会」が設立され、残った桜を琵琶湖岸の別の場所に移植して育てています。 いつの日か、萩の浜周辺の湖岸道路に以前のようなきれいな桜トンネルを復活させ、そして十一人の若者たちをいつまでも忘れることがないようにと・・・
(2022.04)