半島との交流・湖西唯一の前方後円墳 〜 鴨稲荷山古墳 〜
天皇橋の南にある鴨稲荷山古墳は、古墳時代後期のもので、湖西地方では平野部に立地する唯一の前方後円墳で、高島市内で最も有名な古墳です。もともとは名の通り稲荷を祀っていた塚であったと言われています。
今から120年前の明治35年(1902)、この古墳の東側を通る上街道が県道に昇格し、改良工事が行われました。
その際に、古墳の盛土が土取りされ、8月9日に墳頂から石棺が発見されました。翌10日に村の役員が立ち会う中、石棺の蓋石がはずされ朱で真っ赤な棺内が見聞されました。
古墳の築造時期は6世紀前半と位置づけられています。 安曇川町田中周辺で生まれたとされる継体天皇を支えた三尾氏首長の墓であると推定されるとともに、巨大な家形石棺や朝鮮半島の影響を受けた純金製の耳飾りなどの副葬品が出土したことから、朝鮮半島との強い交流が盛んだったことを裏付けています。
古墳域は昭和39年(1964)に滋賀県指定史跡に指定されており、副葬品の多くは東京の国立博物館に収蔵されています。
(2022.6)
注:「鴨稲荷山古墳」の詳細については、高島歴史民俗資料館で確認することができます。