地域住民が守り続けた古代ロマンを秘めた古社 〜 水尾神社 〜
悠久の歴史を育む水尾の郷に鎮る古社 水尾神社(みおじんじゃ)の創建年月日は不詳ですが、元は現在の和田打川を挟んで、河北社と河南社の二社を総称して水尾神社とされてきました。
河北社は、伊勢湾台風で社殿が倒壊した為、ご祭神を現在の水尾神社に合祀しています。既に奈良朝時代(天平神護(てんぴょうじんご)元年、西暦七六五)には、時の有力神社として朝廷より十三戸の氏子が与えられ、醍醐天皇(だいごてんのう、西暦八九七)の延喜式の制には、東山道の神社三八二座のうち、最も位の高い官弊大社五座の内の二座(河北社・川南社)を占め、一年に四回、例祭を始め大祭には朝廷より奉弊(お供え)がありました。
御祭神は、高島南部地域を本拠とした三尾氏の祖先神である、第十代垂仁天皇(すいにんてんのう)第十皇子磐衡別命(いわつくわけのみこと、出世・開運の神)と第二十六代継体天皇(けいたいてんのう)母君、振姫命(ふりひめのみこと、安産・子授けの神)の二柱をお祀りしています。殊に振姫命は、当社拝殿を産所として継体天皇をお産みになったとの伝承が残っています。
水尾神社は、歴代の天皇や武家からの厚い崇敬を享けながら地域住民が守り続けてきた神社です。八代将軍徳川吉宗は神輿を奉納、今も例祭で氏子が担いでいます。又、九代将軍徳川家重は本殿を再興しています。この本殿は平成二十五年、約二五○年ぶりに氏子を始め、崇敬者の志納により再建され今に至っています。
忙しい毎日の合間に足を運んで頂き、暫し心を鎮めて古代のロマンに浸ってみてはいかがでしょう。
(2022.9)
注:平成八年には神社南面の斜景を利用した石庭が完成し、そのスケールの大きさと、一年を通して四季折々の植栽を満喫することができます。